確かに自分を見つめ直したり探したい時に、坐禅とか瞑想とかに行きたくなる気持ちはよぉく分かります。私もそうだったので。
でも少しそれらをかじってから、ぐるっと回って?、結局のところ、探し物と言うのは大体既に持っていたり、目の前にあるというのが、年を取ってきてから分かったことで、静かに食べる事でも十分だと思ったのです、特に日々の中では。
坐禅組もうとか、瞑想しようとかは、こうもっとレベルを上に据えておいていいのかなとも思います。本当にどうしても、という最終手段とでもいうか。
でも毎日やるとなると、結構大変です。
時間もないし、場所もない。
仕事やらその他のことで疲れてしまって…なんてことで、段々続かなくなる。
でも静かに食べる事だけだったら、環境だけ頑張って整えればいいし、家で食べるならば、尚更やりやすい気もしますが、どうでしょう。
では何故、静かに食べる事に意味があるかと言うと〜勿論私なりの理論です〜…一番は自分と向き合いやすいからです。
ご飯を一口食べました。
もぐもぐ。ごくん。
ありゃ、いつもの調子で食べてたんだけど、丸飲みしちゃってるわ…
なんて言う、つまらなそうな事の一つ一つに気付たりします。
口に入れたものをどうやって咀嚼して、どうやって飲み込んで、それの行く末を考えてみる…これ全部、自分のことであり、向き合ってることになると思うのです。気持ちに対してではないですが、食べることも自分自身のことですし、根本の行動です。
坐禅とか瞑想は、ホントに何もないところでやりますので、眠くもなるし、雑念だらけに大体なりますが、静かに食べる事ならば、対象があるからやりやすいはずなので、これすら出来ないならば、坐禅とか瞑想はもっとしんどい気がします。
一度、静かに食べてみてはいかがでしょう?